ウポポイを訪問して、考えたこと。

先日、ウポポイに行ってきた。

ウポポイとは…「民族共生象徴空間」という、国が設置したアイヌ民族復興・創造・発展のための拠点。(このあたりのワードが並び始めて、他人事じゃない感じが満載なのは僕だけではないはず)

国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設が立地していて、ウポポイは大勢で歌うことの意から名付けられたとのこと。

ウポポイの入り口

アイヌ民族を巡る歴史について少し振り返る

アイヌの歴史を紐解くと、狩猟民族としての暮らしを奪われ、同化政策により文化を奪われ、そして差別されてきた歴史にいきあたる。明治初期から苛烈とも言える同化政策ははじまっており、旧土人保護法の見直しとアイヌ新法の成立にいたるまで、100年近い苦しい時代が続いた。

 

・二風谷訴訟とアイヌ新法

1980年代にはじまった平取町二風谷のダム建設に関する用地買収。最後まで土地の買収に応じず、萱野茂さんと貝澤正さんは強制収用に対する裁判に。1997年に判決が確定し、アイヌ民族の先住性が認められた一方で、土地の強制収用は違法だとしながらもダムが完成していることからもとに戻すのは公益に反するという結果に。

この裁判が契機となり、旧土人保護法が見直され、アイヌ文化振興法(アイヌ新法)が制定されることとなり、アイヌ民族先住民族としての位置づけを明確にするとともに、アイヌ文化の保護が国の方針として位置づけられた。

二風谷のアイヌ文化博物館に国費が投じられ拡充するとともに、平取のアイヌ文化伝承の催しも後押しすることに。

 

僕が北海道に住んでいた3年半

北海道開発局の予算にアイヌ関連予算が計上され、文化保護に関する各種事業が始まり、儀式や料理の材料に必須の植物などの保全活動が始まる様子がたびたびニュースになりはじめた。先住民族との交流を通じた「世界的な先住民族の位置づけ」をどのように日本でも位置づけていくのか、先住民族サミットの開催などの契機も。

https://www.hkd.mlit.go.jp/mr/sarugawa_damu/tn6s9g00000023az-att/16_houkoku_sanko1.pdf

 

萱野茂さんの訃報

2006年の春の大型連休。5月6日に萱野さんが亡くなった。原稿を書くプロセスで、教科書程度の知識だった僕は彼を知り、偉大さに触れ、平取に足を運んで弔いの様子に立ち会った。(取材者として、アイヌを長らく取材し続けてきた上司のかわりに弔問した)

それでも自分にとってはまだまだ遠い向こうの世界の話であって、どこか他人事だったのだと、今ならわかる。

 

アイヌは文字を持たない。音がすべて。若かりし日の萱野茂はオープンリールを抱えて村の年寄の民話を録音し、アイヌ語辞典の編纂に取り組んだ。その後もアイヌ新法の成立に尽力し、権利回復や文化の保存に、まさに文字通り人生を捧げた。

訃報の映像にも「民族は言葉。言葉をうしなったとき、民族も失われる」と語る姿が記憶に残っている。

 

はたまた、ウポポイ

ウポポイ、素晴らしい施設ですごくたくさんの方が足を運んでいて感動した。

なにより、JR北海道の電車にのるとアナウンスの冒頭に「イランカラプテ」とアイヌ語の挨拶からはじまって、隔世の感。

アイヌの歌や演奏に大勢の方が釘付けになっていて、演者の様子はもちろん、シアターを埋める人たちの様子が気になってしかたなかった。

アイヌ語の案内板

アヌココロ アイヌ イコロマケンル (国立アイヌ民族博物館)

 



ウポポイがもたらしたもの。

  • アイヌ民族の伝統文化の伝承を「仕事」として収入が得られるものとしたこと。それまでは、地域の文化センターで薄謝を得ながら講座をひらいて、薄謝を得るというのが関の山だったという

 

  • 多くの若者が文化伝承に携わることができるようになったこと。とにかく、シアターの演者の様子をみて、素晴らしい!と思わない人はいないと思う。個人的には、現代を生きる人たちが実名で自らの仕事の様子を展示にしていて(俳優の宇梶さんをはじめ、フェアトレードビジネスに従事する方など、僕らの身のまわりで一緒に仕事していることが容易に想像がつく展示)、相当に意欲的な展示だと思った

現代を生きる方たちが展示に
  • いかにしてアイヌ民族が迫害され、暮らしを追われてきたのか。そこから現状をどのように取り戻してきたのかに関する展示が一切ないこと

 

  • 世界的な先住民族の位置づけの見直しの潮流や現状について触れられず、日本における先住民族の位置づけが相対的にどうなっているのかが明らかではないこと

 

といったことも見えてくる。

国立の民族博物館として、雄弁に語っているものの裏側には、語られないものがあるということ。

玄関で来場者を迎える大型モニター


全体として歓迎すべき大きな一歩であることは間違いない一方で、なにを語り継ぐべきなのか。

土地を奪われ、文化を失おうとしている地に暮らす一人として、就職差別などアイヌ民族が直面してきた困難は、(アイヌの方が直面してきた困難は原子力被災地のそれとは較ぶべくもないのは理解した上で、)参考になることがあると感じる。

彼らが、民族のことばや文化、歴史を残すためにどのように戦ってきたのか。結果手に入れたものの中に、なにが収められ、なにが収められなかったのか。

翻って、僕らの暮らす地域にも建っている伝承館。冒頭に赤べこのキャラクターが出てくるあたりからして、原発が建っている土地に当事者性を持っている人が企画したのではないんだなーということがわかる。(アイヌ民族博物館のメインビジュアルに熊の木彫りを登場させたら、怒られるでしょう……アイヌはリアルな熊の像はつくらないので)

これから長く続く道のりの中で、権力の側はなにかを残そうとする。一方で、現地で暮らす僕らはなにを残すべきなのか。考えないといけないですね。