オリンピックの記録映画を鑑賞する


先日、東京オリンピックの記録映画
を鑑賞してきた

 

www.toho.co.jp

 

Side A は予定調和のかたまり。ドキュメンタリーでありながら、ドキュメンタリーを模した"映画"のような作品でした。

構成案をそのまま映像に仕立てたような作品であって、事前リサーチを越えるような映像の力を感じるような場面は殆どありませんでした。

 

www.toho.co.jp

 

一方の Side B ですが、こちらは想定外のシーンが随所に描かれていました。 Side A でずいぶん期待値が下がっていたので、まさにドキュメンタリーの持つ映像の力を感じるシーンが随所にあって驚きました。

残念だったのは一定の背景知識を持って観なければ、状況を理解することが難しいということ。

その発言がどういった意味を持っているのか、その出来事がどういう状況で起きたことなのか、なぜ決断を下すことが困難だったのか。

記録映画として、内容を理解するのに必要な前提知識が要求されてしまうということは、時間が過ぎて記憶が風化していくと、全く異なる文脈で解釈されていく余地を大きく残すことになるのだろうと思いました。

(例えば、新型コロナウイルスの発生直後の切迫感や危機感は、今でこそまだ生々しいものがありますが、未来でも同じような前提を共有する人が観るとは限らないのだろうなと思います)

東京オリンピックとわが家

オリンピックが東京で開催されることが決まり、とても喜ばしいことだと感じたことを記憶しています。なにしろ、「復興オリンピック」がやってくるのですから。
震災から10年近くが過ぎ、改めて被災地の現状を多くの方に伝えるとともに、これまで多くのご支援をいただいたことに対して感謝を伝える機会に、大きな期待をしていました。
さらにはサーフィンや馬術競技など、地域に根ざした種目の開催地として、この場所に多くの方が訪れていただけるかもしれないことを強く期待していたことを覚えています。 しかし残念ながら現実は異なりました。

復興オリンピックはまさに文字だけのものであり絵に描いた餅だった

大勢の選手や観客を原子力被災地に迎え入れてオリンピックを開催することは、そもそも選択肢にすら入っていませんでした。

そんな形ばかりの「復興五輪」でしたが、唯一感動的だったのは聖火リレー

感染拡大の真っ只中で開催も危ぶまれましたが、津波被災で家族を失った上野さんが聖火ランナーを務める勇姿を見れたこと、さらには彼の言葉が彼のインタビューが多くのメディアに取り上げられたことに、涙しました。

加えて幸運だったのは、僕ら家族も南相馬市のメーン会場の抽選に当たり、関連イベントを体験したりすることを通じてオリンピック開催の空気に触れることができました。

聖火リレーの中継の様子

上野さんを特集するテレビ番組

聖火リレー 南相馬会場

さらに幸運だったのは、たまたま手にした宮城スタジアムのサッカー女子の予選のチケットがほぼ唯一の有観客開催の競技にあたったことです。

日本代表の試合を現地で観戦することができました。

宮城スタジアム 女子サッカー日本戦

手作りの横断幕で、震災の支援に感謝のメッセージを

 

刻一刻と無観客開催の方向性が固まり、東京は無観客開催に。世論の批判を受けて東京以外の会場も次々と無観客開催に舵をきりました。

そんな中でも、宮城スタジアムだけが有観客の開催となりました。 数少ない現地でオリンピックを観戦できるチケットを手にしているということを知り、僕らが震災支援の感謝を伝える横断幕を用意しないと、誰も感謝を伝えないのでは?と考えるにいたり、バタバタと準備をすることに。

同級生の葬儀屋さんにお願いして在庫で保管している大きな真っ白なテーブルクロスをもらってきて、家族でアクリル絵の具を用いてメッセージを書き綴りました。

内容は皆で考えたものを大学の先輩の通訳とか他に自然な英語に直してもらいました。皆さんの支援のおかげで僕たちはこの場所で暮らし続けていることができていることについて、感謝の思いをつづりました。

驚きだったのは、北海道に赴任していた時に一緒にお仕事をしていた旧知の新聞記者さんが、宮城スタジアムに取材に訪れていたこと。僕らの掲げたメッセージを見つけてもらって取材してくれました。

 

はたまた、映画に戻って、復興五輪を巡る

東京オリンピックの記録映画 Side A と side B 二つの映画を鑑賞してきました。

なぜなら、東京オリンピックは復興五輪だから。復興した姿と、そして感謝を伝える場だったはず。それがどのように映像に残されたのか、残されなかったのか。せめて僕一人くらいは見届けようと思いました。

SNS などで取り上げられているように、映画館の会場は僕一人。 これまで早朝や深夜の映画館でほとんど客入りがなかったとはよくあることですが、そうは言っても2回立て続けに、昼間に僕しか観客がいない映画館は、ちょっと残念です。

Side A を見て感じたことは極めてよくてきたドキュメンタリー風の映画のように感じられたこと。 それはまさに人手によって作られた人工物のような予定調和。わかりやすい多様性が盛り盛りにされた映像作品でした。例えば難民、例えば出産を経験した女性(出産のために出場を断念した方もいれば家族とともに来日し乳児の世話をしながら通常した方も)さらに沖縄で生まれ育ち沖縄に初めてのメダルをもたらした選手。
前もって手に入る情報の中でまさに多様性がイメージしやすい選手のところにひたすらカメラを入れてつなぎ合わせたそんな作品になっていました。

一方でSide B。こちらは選手ではなく運営サイドにカメラを入れてまとめた作品です。2020年にオリンピック開催を予定していたコロナ前の世界が描かれています。

あの頃にはなかった大きな想定外が起きました。それは開催を1年延期したこと。 無観客開催を決定したこと。 さらには演出チームの解散や、コロナを受けて食事のスタッフや会場のスタッフが困難に立ち向かう姿が描かれています。

これらは事前のリサーチで撮影ができるものとは異なりまさにカメラが未知の世界に足を踏み入れ記録してきた貴重な映像なんだということがひしひしと伝わります。

一方で、まだまだ記憶が生々しいからこそ前提の共有がなくとも映像だけで伝わるものですが、少し先の未来ではおそらくその前提が崩れてしまって理解することが困難になるのだろうなということが容易に想像がつきました。

例えばコロナを巡る感染状況に対するリスク評価(そもそも当初は感染するとかなり高い割合で重症化し、生命の危機に発展する恐ろしい感染症であるという認識を社会が共有していたこと)などは、数年後には忘れ去られてしまっていて、記録映画を観ても、どうしてこんな状況になったのかを理解することは難しくなっているかもしれません。

現時点ですら注意しないとその当時どんな感覚でその状況を捉えていたのかについて錯覚しそうなくらいには記憶が薄れてきています。

記録映画だからこそ、時代の前提を上手に共有してほしいと感じましたし、時制があちこちに飛びながら話が進んでくことも相まって、本当の困難がどこに横たわっていたのかがすごく曖昧な作品だなという風に感じました。

最後に、復興五輪とは…

映画の中で、被災地に触れたのはSide B の富岡高校の関係者たちを取り上げたシーケンスのみ。それはあくまで、五輪出場選手の中には、原子力災害により避難を余儀なくされた人たちがいたということを取り上げた、ただそれだけでした。

復興五輪を掲げたこと、その中で、被災地の犠牲や葛藤、復興に向けて前に進む様子は一切触れることはありませんでした。

 

東京オリンピックが復興五輪を掲げたこと。それが跡形もなくなかったことになったことについては、どこかに残しておく必要があるのだろう、そんなことを思いました。